25年前の今日は日航123便の墜落事故があった日です
私はその日、奥松島にある矢本の自衛隊基地にいました
皆がお盆休暇を取る中、基地内に残り交代で休む班にいたのでした
ちょうど今頃、夕飯を食べて職場にいたところ所属長が
血相を変えて飛び込んできました
「ちょっとテレビつけてくれるか、どうもジャンボが落ちたらしいぞ」
という、緊迫したものでした
当時はなんと、自衛隊内の情報よりもマスコミからの情報
のほうがわかりやすくて早かったようです
ただ、どれが正確な情報でどれが誤報かの判断は出来ず
テレビのテロップや緊急情報に見入っていました
次の日、基地内に残っている隊員に待機命令がかかり、私も炎天下の中、いつでも動けるように待機したのを覚えています
あれから25年。
年に50回以上のフライトで移動するのが常態化している現在
毎年この日になると当時のことが思い出されます
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたしますとともに、
ご遺族の方に心よりご哀悼申しあげます。