人が集団組織の中で生きていく上で、富の蓄積と継承がその集団の中での発言権と行使力を左右する。
その原点の一つは、古代農耕における技術革新による余剰生産物の増加が産んだ貧富の差である。
その技術革新をいち早く開発し手にした家もしくはグループがその集団の中で力を持ち、その集団を率いる能力を持つ人間と同一か仲間であることでその集団の進む方向が決まる。
その人間たちを中心にその集団は望む方向へ行動していくことができるようになる。
その原動力はその集団を率いる指導的立場の人間たちの目標達成意欲にある。
その目標が集団規模の拡大であれば、そこに他集団との競争が生まれ、その勝負の解決には話し合いか、戦いが発生する。
指導的立場の人間は話し合いであれば自らの有利な方向に話を進める能力が必要であり、戦いであれば自らが勝ちを収めるよう采配を振るわねばならぬ。
古来から現代まで、人間相互間の関係を考える上でこの技術を説いたものが時代を超えて必要なのは、人間として生きていく上では欠かすことができない人間関係論だからであろう。
その関係論にしても人類の歴史5000年の初期に確立したものが今日まで、傍流は変わることはあったにしても本流はそのまま引き継がれているのである。
人生30年を1世代とすれば166代前は5000年前なのである。
自分の祖先を166組さかのぼることができたらそこはエジプト文明が発生した頃なのである。
その頃から今日まで自らの血はつながってきているのである。
人は必ず誰かから生まれてくる。
その連綿としたつながりが現在の自分を型作っている遺伝子の中に一つ一つ証拠として入っているのである。
その事実を踏まえた上で、いまの自分の時間を有意義に使う努力をせねばならぬのだ。