命日

2014/09/14 22:17:28

テーマ:満月斎実施記録

2012年9月14日未明に私の弟が亡くなりました。

今年は3回忌。

39歳。
三人兄弟の二番目。

夜にクーラーをつけずに寝てしまって、熱中症による脱水症を起こしてしまったようです。

火葬場で骨となった彼を見て、さっきまであった肉体が、顔が、肌が、手が、すべて真っ白な骨となり、人が死ぬとは肉体がなくなるコトであるんだということを強く感じました。

焼く前の日、彼の声が聞こえた気がします。
「アニキ、寒いよ…」って。
思えば、氷温室に入ってますからね。
彼の部屋にあったセーターや暖かそうなズボンを棺の中にいれてあげました。

すべては必要な時に必要なコトが起こる。
不幸や苦難やどんなに大変に思うコトも、その経験を自ら選んでいるわけで、必ず超えるコトが出来るからその時にその事象が起こる。
怪我や病気や貧困も、それを経験することで何かをつかむ。
起業や経営や大成功もそう。
その結果、どう生きるかなのです。

その究極は「死」です。

寿命さえ自分で決めてくる。
「死」を迎えるということは、今生での計画をすべてやり切ったということ。生まれる前に立てた計画をすべてやり終えた。
だから生きている限り、なにごとも逃げずにその時に出来ることを精一杯やり尽くせば良い。それはすべて自らが立てた計画だから。
結果はどうでもいいのです。
失敗と思ったらやり方を変えれば良い。
成功したと思ったら、その達成感を感じながらもっと前に進めば良い。
留まることなく自分のペースで、自分のしたいコトに向かって進み続ければよい。
思うだけではダメ。
行動に移してこそ肉体として生きている証し。
これが人が生きる課題。

その少し前、2012年5月26日に、母が亡くなりました。
母は最期まで、弟のコトを心配していました。
お彼岸にあわせるように彼が亡くなるということは、彼を連れていったのでしょう。
「今回はこれで終わり、さあ行くよ!」って。
そんな口調の母でしたから。

ただ、それは肉体としての今生が終わりということで、心は魂として残ります。
また、次の世で私達と縁を持ち、課題を計画して生まれ出てくるのです。

四十九日まで魂は此の世に留まるといいます。
肉体として生きた念が強烈に残っているから。
だから七日ごとに供養を行ない、お経を唱えるのです。
「あなたはもうこの世にとどまる必要はないんだよ」ってね。
彼も今頃はまだこの世の上空で、今までの生きた場所を懐かしがっているのでしょう。

初七日は不動明王
二七日は釈迦如来
三七日は文殊菩薩
四七日は普賢菩薩
五七日は地蔵菩薩
六七日は弥勒菩薩
七七日は薬師如来

それぞれの日に、この仏様達が魂を導いてくれるのです。
とくに五七日は閻魔様との対面日。
今生での裁きが待っています。
自分が産まれ出る時に計画したことがちゃんとなされたか?
他人にしたことを全部自分が経験する。
施しや優しさは、そのとおり。
意地悪や偽りも、そのとおり。
そんな自分を救ってくれるのが、お地蔵様なんですね。

そしてみんなが魂の故郷に戻って行くのです。
魂の故郷って実は自分の心の中にあるんです。
彼岸と此岸。
その両岸を行ったり来たりするのが心を持つ魂。

生前の母と弟に心から感謝を申し上げます。
次の世でもまた、私と共にご縁がありますことを。

ありがとうございました。