奈良県明日香村に寄って来た。
飛鳥とも書く。
大和の源流である。
この地に入った時、なんとも懐かしい、デジャヴュを感じた。
私は縁のある人々と当時ここに住んでいたんだろうなと不意に思った。
ここは石舞台古墳。
当時最大の豪族、蘇我馬子の墓と伝えられている。
周囲には天皇家の墓がたくさんあって、どんな小さな墓でも宮内庁が管理しているのにここだけは威容を誇る大きさなのに昔から野ざらしであったということは、天皇家の墓ではないということは大昔から判っていたのだろう。
でもこの石の大きさは凄いものだ。
77tもあるらしい。
これほどのものを動かす労力を使えて、後世まで残るということはやはり、馬子が絶頂期の時であったのではないか?
近くには壁画で有名な高松塚、キトラ(亀虎)古墳がある。
これはキトラの白虎だが高松塚と構図はまったく一緒なのに向きが逆なのである。
当時の光景が現地に入るとありありと見えてくるのでとても面白い。
この飛鳥の地に天武・持統天皇陵がある。
彼は壬申の乱の後、673年2月27日に飛鳥浄御原宮で即位している。
大化の改新の中心人物で有名な兄である天智天皇が大津に都を作り陵も山科にあるというのに対照的である。
ここ、飛鳥という地は周囲が山に囲まれていて周りから目立ちにくい場所にある。
ひっそりとしているのである。
九州の王朝のように平野の真ん中に遺跡があるわけではない。
なぜ、このような地で後々に残るような大和王権が誕生したのか、ルーツといわれているのか。
その理由がこの地にはあるように思える。
いづれまた、その解明をするために来て見たいと思う。