先日来の経験によって私自身の心の持ち様が劇的に
変わり始めているのが自分でもわかります。
私自身の持っている波長、目線が自分でこれだけ変わる
というのも必要必然なタイミング。自発的にはなかなかで
きなかった決心や行動ができるようになっています。
目からウロコではなく、内心の腑に落ちたという感じ。
まず、自分でも驚くのが私の持つ固執、執着からの開放。
薄々気付いていた、私に内在する、「私の心を満足させて
くれる充実感を感じさせよ」と主張する強欲な餓鬼の存在。
いい意味でハングリー精神と呼んでいますが(^_^;
小学生のころから感じていた、自分に対しての存在理由の
探索や血のルーツ、魂のルーツへの探求が一段落した。
握り続けていないといけないという感覚からの開放。執着
を手放すという感覚。そして、その空いたところに今まで見
てもいなかった世界が飛び込んできました。際限のない知
的欲求と経験的欲求が新たな世界を開こうとしている感じ。
一昨日の思いの中で、今まで出来なかった私の中での聖
域とでも言うような分野に対しての執着がストンと落ちてし
まいました。私は昭和41年1月23日生まれなので巳と丙午
を持っている。なかでも何でも抱え込むのは巳の特徴。ト
グロを巻いて自分の思いに執着する分野がある。そこが
ポロッと落ち始めた。自分の中にある「~せねばならない」
という思いも落ち始めた。自分に対しての思いが薄れ始
めた。座って半畳、寝て一畳。自分の存在を自分に求める
執着から開放され始めた。代わって生まれて来たのは、
やはり、「どこで、誰と、何をするのか」という使命感。
私がするべき使命として、今生の経験のなかで発見する
物事の本質、真理を来世につなげていくということは、どの
部分なのか。そのカギは、日常起こる本当に小さな小さな
物事のなかからの発見や驚きから始まり、そこから相似象
である宇宙的意識への認識にすすむ。その認識を持つこ
とが今生の目的。残念ながら来世もしっかり私にはあるよ
うで、ユックリ休む余地はなさそうです。解脱して天界に住
めるのはまだ先のようです (^_^;
ということは、私につながる縁のある人たちもしっかり来世
は来るのです。そして、望むと望まぬとに関わらず、私と出
会い、それぞれの課題を全うすべく、その生を生きていくの
です。私には丙午も入っています。ということは、私の中にあ
る火性に燃やし尽くされないように。
その時に、でてくるであろう言葉を集めるのが私のひとつの
課題。言霊として残る言葉を集めること。
「身に起こることは必要、必然」
「どこで誰と何をして生きるか」
「知恵と力と勇気を」
「真、善、美」
「仁、義、礼、智、信」
「晴れ善し雨もまたよし」
「常識の非常識」
「栄枯盛衰、塞翁が馬」
「怒らず、怖れず、悲しまず」
「逃げたい時には逃げずに一歩前へ進むこと」
「変化こそが繁栄の道」
「どこで活躍するのか」
「得手に帆をあげよ」
「好奇心の先に生まれた理由はある」
「感謝」
書き出してみると、人の生きる根源であり、テクニックの
言葉はありませんね。私の目線では、目前の戦術的テク
ニックを普遍的に言葉にする世界がまだないようです。
そこを作るかどうかを考えることも課題なんですね(^_-)-☆