宮古満月斎終了

2007/09/04 20:22:56

テーマ:ブログ

岩手県宮古での満月斎終わりました。二日で来場11名、占数19名。

相談に訪れた方の話。
60代の女性。一年前の2006年7月1日の夜10時頃。宮古から遠野へ行くために車で仲間4人と近道である国道106号の峠道を走っていた。峠の手前で、左側に大きくて立派な鹿が立ってこちらを見ているのを見つけた。鹿は神様の使い。こんな時間にこんなところで鹿なんて、と思って走っていると急に霧が出てあたり一面が真っ白になってしまった。気をつけながら走ろうねと言い合いながら前後に車が一台もいないのに気がついた。寂しいなと思いながら、もう少し走り続けてちょうど峠に差し掛かった時にあたりの視界がいきなり開けた。と、同時に左前方に女性が立っているのが見えた。その時に運転手の人はハンドルが右に取られるので必死に左にハンドルを持ち続けていたという。なぜなら右は崖だから。こんなところになぜ女性がいるのか? と思っているといきなり、彼女がフロントガラスをめがけて上半身だけ飛び込んできた。助手席に座っていた女性は思わず大声を出して体をそむけると、ビックリした表情で、あの女はウチの近くに住んでいる女性に見えたという。と、同時に車の中が光に包まれて眩しいくらいになってしまった。運転している人が、これでは後ろが見えないぞと言ったと思うと目の前にどこからともなく白い車が現れた。追突しそうなくらいの距離であったので慌ててブレーキをかけて、仕方ないから後ろを付いていった。ところがちょっと走っていると、道が無いはずの林の中にその車が消えていってしまった。なんだかんだでようやくの思いで峠を降りて来たのだけれど、思い返すと怖くて怖くて同乗していた他の三人はこの出来事を話さなくなってしまったという。
後日、その話を遠野の人と話していると、あの峠は昔から事故が多く、死人も多数出ている危険な場所、といわれたそうだ。峠には茅葺の朽ちた家が建っていて、昔そこで随分と旅人が事件に巻き込まれて亡くなっているという。その家が朽ちる直前、高名なお坊さんがその家に入っていったのだが、帰って来なかったという。
なぜ、彼女たちは無事に帰って来れたのか。彼女たちにその土地に残っている念の波長と同調する波長があったということである。その波長があるために念を残した彼らが訴えてきたのである。浄化して欲しいと。でも、彼女たちに浄化は出来ないので、誰かに浄化してもらわないといけない。それを伝えて欲しいということである。遠野の人達も昔からあの峠は危険だと言い伝えてきたわけだから、誰かがしてあげなくてはならない。ただ、普通の人ではダメで、よほど修行を積んだ方にお祓いをしてもらわなくてはならない。家や人のお祓いはまだしも、土地のお祓いは一度や二度では出来ない。その修法を知っている方にめぐり合うこと。その方を探す使命が彼女に宿っているということである。彼女はそれから事あるごとにその現象の話しをしているという。その努力が彼女の陰徳を積み、また、その結果、力のある方とご縁を結び、お祓いしていただく事で土地も浄化されるはずであるというお話をした。
もう一点、左側に立ってこちらに飛び込んできた女性。助手席に座っていた人は自分の友人であるとみた。ということは生霊になってしまうわけだが、生霊なんて滅多なことでは現れない。恨み辛みやそんじょそこらの付き合い方では現れるものではない。では、なぜ現れたのか。なんと、その彼女の旦那さんが直前に自殺されていた。人間が唯一犯してはいけない罪が自殺。ということは彼の魂がまだ天に上がれないでいる。彼女は普段からプライドが高くシャンとしていた女性。それが今では病人のようにヤツレ果ててしまっているという。当然家庭内で、よほどのことがあったのだ。その狭間に旦那が亡くなってしまったことで彼女は修羅の道に入っている。自分を許せず、彼も許せず。だから彼は天に上がれない。その思いを訴えたくてビジョンとして現れたのである。許して欲しい、と。同乗しているもう一人の人はその飛び込んできた人は男性に見えたという。波長が形になっているわけだからどちらにも見えるのだ。
このお話は二つの事象が絡み合っている。古くからの念の残っている土地に近づくことで起こったことと、近しい人の思いで起こったこと。現実の事象はすべて幻なわけだが、自殺をした人は真っ暗闇の中を一人さまよっている。そこに一本の光が蜘蛛の糸のように差し込んでいた。そこが峠の家だったのだ。でもそこはあまりにも念が強く、さまよっていた彼もうえに上がることは出来ない。そこで近しいご縁の人にすがりついたということである。ここに登場した人達はみんなご縁のある人達。敵も味方も無くご縁は結ばれている。そのご縁を自分たちが感じて行動に移さねばならないということだ。そこにメッセージがあり、気づいて欲しいということを言っているのである。自殺をした家族の方が彼を許し、自分たちを許さなければいつまでたっても彼は真っ暗闇の中をさまよい続ける。許してあげることだ。

実は私はここに来る時に連れて行っていただいた方と遠野を回ってこようかと話し合っていた。当然そのルートを通るわけで、今回は丁重にご遠慮させていただいた(^_^;