1985年8月12日、私は自衛隊の松島基地に勤務していた。
盆休みに入っていたため、我々は交代で休み、私は出勤していたのだった。
日航機墜落の第一報が入ったのはそんな時だった。
隊内の情報はほとんど無く、TVからの情報で行動を考える状態であった。
次々に出てくる未確認情報が凄まじいことになっていくのを覚えている。
私たちもいつでも現場に飛べるように待機した。
結果、現場に行くことはなかったが、あの時の情景は忘れられない。
500名を超える魂、救助に向かった隊員たちの多くが精神状態をおかしくした。
人が生きるとは何なのか、を強く認識した時だった。
亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。
あれから22年。
いまでは年間50回以上、飛行機に乗る。
今日もこれから全日空機で鹿児島から伊丹に飛ぶ。
出来るなら、いつも無事に移動できるようにお願い申し上げたい。