御巣鷹

2008/08/12 1:00:00

テーマ:思うこと

1985.8.12

この日、私は矢本にある航空自衛隊松島基地にいた。
基地はお盆休暇の真っ最中で私は、ずれた休みを
もらっていたので、その日は出勤していた。
夕方、第一報が入りテレビからの情報で、乗員乗客
524名の乗ったジャンボ機が消息を絶つというニュース
だった。時間が経つにつれ、事の次第がだんだんと
明らかになっていった。

JAL123便。いまだに鮮明に覚えているこの便名。
私の誕生日が1月23日だからだ。
123とは極相数。「大きく振れる始まり」という意味もある。

翌日、隊内で呼集がかかった。現場捜索隊の編成のた
めの待機であった。結果として我々の基地からの出動
はなかった。陸上自衛隊の捜索救助活動は困難を極め、
でも、4名の方が生存されていたことに心から感動したこ
とを覚えている。

あれから23年。時間は淡々と過ぎていく。年間50回、週に
1回は乗る立場として、明日は我が身と感じることも少なくない。

すべては必要必然。その思いであまり振り返らずに走り続
けてきたが、この日だけは、あの日のことを思い出す。

亡くなられた520名の方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。