岐阜市内に圓徳寺という寺がある。
織田家の菩提寺だ。
ここに信長が唱えた「天下布武」の石碑がある。
武をもって天下を治める。
「武」とは「武力」とよく思われているが、それを行使する事で天下を治めるのではなく、武力を、すなわち争いを止めることで天下を治めるという意味で使ってたんではないかなとよく思う。
だからこそ自分以上の「武」力を持つものに対しては徹底的にこれを壊滅して二度とそういう力を持てなくさせている。
その上で自らが楽市楽座に見られるような善政を敷き、新たな国を作ろうとしていたのではないだろうか?
この寺の門前には楽市楽座の記念像も建っている。
庶民から見れば力強いお殿様という感覚。
ただ、それから十数年後、信長は明智光秀により自刃する。
その後、秀吉により天下は統一され岐阜城は孫の秀信が城主となる。
この秀信、幼名を三法師という。
信長が亡くなった後、秀吉に抱っこされて織田家を継いだ人である。
関が原の折、なぜか西軍についてしまい前哨戦で東軍に破れ城を下山。
この寺で剃髪して高野山に入った。この時点において信長の嫡流は途絶える。
時代は常に栄枯盛衰。
今もそうだと思う。