陸王

2006/02/25 23:03:10

テーマ:ハーレーダビットソン

Cimg2978 陸王を見て来た。といっても、最初から判っていったわけではなくて、またまた良くある「あたり!」だったんだけど(^^ゞ

今日は仕事で国立に来ていて、私は生まれが立川だから昔からここは庭みたいなもんで情報も色々入ってくる。去年の九月にハーレーのメガショップが昭島にできるということを聞いていたので近くに行ったらいってみたいなあと思っていたのだ。

Cimg2973 ところで、国立という名の由来は立川と国分寺の間だからというなんとなく安易な感じなんだけど、一橋大学のおかげで学園都市として風致地区にもなっていてとても雰囲気がいい。だから、この地域にはその手のホテルがなくって一線を越えた立川側にズラッと並んでいる。逆に立川は米軍の基地があった関係で何でもありって感じだった。むかし、ここを舞台にしたドラマがヒットしていたっけ。

国分寺という町も古くって、741年に聖武天皇が発した詔勅に由来して当時は全国の国分寺の中で一番の広さを誇ったそうだ。それも1333年の新田義貞の軍勢に焼かれてしまって今は跡しか残っていないのだけれど。

ところで話を戻して陸王なんだけど、何でそれがここのハーレーショップにあるのかって言うと、ここのオーナーは昭和飛行機という会社でここが昔、陸王の製造をしていた関係で車体を展示していたというのだ。今となっては何台残っているかというくらい見ることがなくなった「陸王」が目の前にあるのがとてもうれしいのだ。

確かに陸王の前身はハーレーだ。というか、陸王はハーレーの完全コピーである。

ハーレーダビッドソンは1912年に陸軍が採用したのが始まりで、1917年まで軍はハーレーを輸入して使っていた。その後1922年に大倉商事とJSモデルを契約し1923年には最初のハーレー日本代理店が誕生する。1925年、三共社の契約したバイクが日本に上陸。1932年三共社は、ハーレーと「陸王」のライセンス生産について契約する。そしてこのときのエンジンの設計図が確かにここに飾ってあった。その後、1937年に日本陸軍に正式採用される頃には、ほぼすべてが日本製パーツになっていたという。ヤッパリ日本の技術はすごいのだ。三共社は、陸王内燃機と社名をかえて大戦中はもっぱら軍用車を生産していたようだが、戦後の混乱を経て1950年に陸王モーターサイクルとして生産を再開し、1962年まで立川の昭和飛行機で組立て整備が行われていたというのだ。 ウチの祖父もハーレーに乗っていて当時は立川から皇居まで走ったりしたらしい。

こんなこととは知らずにいったものだからうれしくってツイツイ時間を忘れて見続けてしまったのだった(^^ゞ