マヤ・アステカ。私が小さい頃から妙に魅かれる言葉。
先日、ある方に言われました。
「いろんなところで生きてきたんですね」、と。
私はてっきり今の生活のことを言われたのかと思ったら、違うと言います。
過去生の中で地球上のあちこちで生きていたと言う。
その中の一つのビジョンを強烈に見たというのです。
私がアステカの太陽の神殿で、朝日を浴び、生贄の心臓を高らかに掲げている姿を。
そして、恍惚とその姿を眺めている自分もそこにいたと教えてくれました。
私には朝日が似合う。だから、私が行くところは晴れるし、太陽が光を注いでくれるのだと言う。
ちなみに私の実母の旧姓は「朝日」といいます(^_-)-☆
昔から私は晴れ男。私が外に出ると雨がやむのはしょっちゅう。先日の香港では晴れ男と晴れ女が集まり、ザーザー降りのなか、我々が外に行くとピタッと止んだことが何度もあって、ありがたく楽しい思いをしました。
以前、マヤ・アステカ展が開催されて、日本のあちこちで見ることができました。なぜか私の行くところでもチョクチョクやっていて、導かれるように見に行きましたが、なかでも眼を引いたのは「チャクモル」。生贄の心臓をのせる皿を抱える石像。
血糊のついたその石像を見た瞬間、あっコレは見たことがある、と直感が走ったことを覚えています。そして、同じ体験をした人が今生の私の仲間でも何人かいました。
ご縁は常にあるようです。
このミニチュアの太陽の神殿もいつの間にか私のところに来たのです。
これも必要必然なメッセージ。